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愛知県支部のあゆみ

昭和28年10月25日、愛知県支部創立総会が開催され、創立時支部会員179名で船出し同年11月には250名を超える会員数となった。

昭和38年6月、名古屋支部と三河支部に分割されていたものが合併され新制愛知県支部が誕生し、最盛期の会員数は600名を数えるに至った。昭和60年11月、支部会員念願であった支部会館が竣工し、諸会議、総会、検定作業を始め各種事業の業務、指導者の資質向上を目指す珠算指導者講習会を行う場となり、会員相互の情報交換の場となっている。

令和2年2月28日、コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、首相の全国一斉の休校措置が発せられてから、支部運営は大きな影響を受けたが、支部会員一丸となり乗り越え現在に至っている。知恵と力を集結し、協力・実践した結果として、現在も全国一の会員数を維持する。

令和6年5月19日、愛知県支部創立70周年の記念式典祝宴を祝うことができ、この後も、珠算教育活動を通じ、地域社会に貢献していきたい。

全種連標章

珠算教育者 三つの珠は、「珠算教育者」「珠算被教育者」「珠算の隣接科学」をそれぞれ表し、黒いバックはそれらを育む社会を表すものである。
計算実務を必要とする社会と、その要求を満たすために活動する三者との渾然一体とした姿を表したものである。 

全珠連創立:昭和28年9月24日
法人許可:昭和31年11月15日
公益社団法人認定:平成25年7月1日

支部会館へのアクセス



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>ソロバン学習で身につく6つのチカラ(PDF)

そろばんの歴史


>表紙絵 江戸時代の浮世絵師・歌川国貞の作品
 「雅六芸ノ内 書数(がろくげいのうち しょすう)」

>砂そろばん
>線そろばん
>ローマの溝そろばん
>中国の古いそろばん
>算木について
>幼稚な現代そろばんの誕生
>中国でわり算九九ができる
>中国のそろばん
>このころには、そろばんが中国から伝わっていた
>前田利家が陣中でそろばんを使ったと伝えられている
>日本でわり算九九がひろまった
>五珠1個のそろばんがでてきた
>大津でそろばんが作られた
>そろばんの本が発行されはじめた
>吉田光由が「塵劫記」を著した
>開平・開立の計算法が研究されはじめた
>この頃から、いろいろなそろばんの本がではじめた
>亀井算が生まれる
>改算記が刊行され普及した
>算額を神社やお寺にかかげる風習がおこった
>関孝和によって日本の数学(和算)が発達した
>和算家の系譜
>学術的な珠算書「大成算経」ができた
>わかりやすく書いたそろばんの本がではじめた
>商除法が紹介された
>四つ珠そろばんを考えた人がいたが、使われなかった
>寺子屋がふえはじめた
>たし算・ひき算が珠算の学習に大切と
 考えられるようになった

>程度の高い内容の「算法新書」が刊行された
>小栗忠順が「咸臨丸」渡米した際、
 ふところから取り出した「そろばん」で計算して見せ
 当時のアメリカ人を驚かせた

            

>西郷隆盛は当時の武士の中では特に「そろばん」が
 達者で数理にすぐれていた

>西洋の数学が入ってきた
>そろばん製造の技術が発達し、精巧なそろばんが
 たくさん作られるようになった

>珠算塾が生まれた(伊勢百日算)
>伊勢百日算の系譜
>小学校で算術に珠算が採用された
>梁に定位点をつけるようになる
>珠算の教え方が近代的になってきた
>五珠1個のそろばんが多くなる
>商除法に還元を使う方法が生まれた
>負数計算が生まれた
>三桁区切りのそろばんが多くなってきた
>小学校の算術は必ず筆算でするようになった
>貯金局でそろばん競技会がひらかれた
>文部省から「小学算術書珠算教師用」が発行される
>二指法が多くなってきた
>高等小学校で珠算を学ぶことになった
>検定試験がはじまる
>わり算九九が使われなくなり、商除法が普及しだした
>四つ珠そろばんが多くなってきた
>尋常小学校で算術に珠算が必修となった
>全国珠算競技大会がはじめて開かれた
>計算機と競争してそろばんが勝った
>社団法人全国珠算教育連盟ができる
>アジア珠算会議が開かれる
>世界各国へ珠算が普及されはじめた
>目の不自由な人のための検定試験がはじめて行われる
>「そろばんの日」が8月8日にきめられた
>そろばんマスコットの愛称が「パチ&パッチー」にきまる
>背表紙 発行元
>裏表紙 発行時の全珠連キャラクター


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